珍道中記 <<関西編>>

関西空港から出発し、深夜、コタキナバルで我々成田発組と合流した、すぎもっちゃんとかおるちゃんがその道中記を送ってくれたので、ここに掲載します。
長い道中、いろいろあったんやねぇ、ご苦労様です。(笑)

こんにちは、すぎもっちゃんです。それでは、ランカヤンツアーの珍道中関空版をご報告します
かおるで〜す。すぎもっちゃん一人に報告させるとなに言われるかわからないんだもん。横から口挟ませてもらいます。

それはすでに、出発前から始まっていました。

そうなのよ。始まっていたのよ。
ご存知のように関空出発は僕とかおるちゃんの二人のみ。
こわかった〜。もとい、寂しかった...。(^。^;
彼女と初めて会ったのは、今年のパパクラブの新年会でした。
そうそう。その時すでに私は風邪引き中でした。
その時ムネさんは「今度のツアーで一緒に行く女の子です。チケットとかは彼女に渡しとくから。あとは全部OKだからね。安心して。」と力強く言って、かおるちゃんを僕に紹介してくれました。
うんうん、確かに言った。
僕はこのセリフを聞いて”きっと彼女は旅なれているんだろうな。心強いや。”と考えてしまったのも無理からぬこと。
そりゃあ、そうだ。
しかし・・・。
「私、海外って初めてなんです。何にもわからないのでお願いしますね。ムネさんも”ついていけば大丈夫だから”って言ってましたから」
ムネさん、そういう風に言ったんだよ〜、確かに。
おいおいムネさん話が違うじゃねーか!確かに海外旅行に行ったことはあるが、それでも数回。マレーシアなんて初めてだし、ましてや添乗員なしで乗り換えなんてした事も無い。
私はその日からせっせと本屋へガイドブックの立ち読みにいそしみました。
ご苦労様でした・・・

さて出発の一週間前、彼女に連絡をとると、なんとインフルエンザにかかりダウンしてるとの事。それでも「這ってでも行きます」という返事。

あったりまえじゃん。だってその為に必死に働いたんだもん。休みも取らず。でもそのせいでこんなことになったんだけど・・・。
たいへんだったんだよぅ。熱は39度。死にかけたんだから。Dr.stopかかってたんだよ本当は・・・、内緒だったんだけど。(^。^;
その上、肝心のチケットや書類がまだ届かない。まぁまだ日があるから大丈夫、と思っていたら、もうすでに水曜日。
むねさんは「送ってるはずだから」っていうし。でもねぇ後2日なのに・・・。
たまりかねたかおるちゃんが問い合わせると、どうやら送り忘れていたようだ ”すみません今日出しましたんで・・・”おいおい出前じゃねぇぞ、この野郎。
ほんとだよ。めちゃあせったんだからね。
結局着いたのは電話した日の昼過ぎでした。S急便で。 

すったもんだでようやくチケットも届き、当日を迎える事となりました。

Dr.stopもなんのその。前日には熱も下がり、もう気分はマレーシア。\(^o^)/
土曜日とはいえ、出勤していくサラリーマンが大勢いるなか、いかにも海外へ行ってきますと言わんばかりの荷物を持って乗る地下鉄のなんと肩身の狭いものか。
しかし、南海電鉄自慢のラピート号に乗る時にはそんな思いも消え去りました。東京でいえば成田エクスプレスみたいなものですが、JRに比べかなり安くしかも早い。鉄人28号を髣髴とさせる先頭車両、おちつけるブルーの車体。身体の大きい私にとってなによりも有り難いのは座席が大きく前も広いという事です。
快晴の天気のもと、私は一路関空へ向かうのでした。
その時、私は?というと...。

「9時すぎには関空に行ってるから」という彼女の言葉を信じ、私も9時前に着いていました。しかし、時間を過ぎても一向に現れず、”もしかして、インフルエンザでドタキャンか?!
そりゃないぜ、なんせチケット等は全部彼女がもってんだから。

大事に持ってたよ。(^^)V
携帯へTELすると「ごめん、今バスの中。もう着くから。」との返事。
ほんとすぐ着いたじゃない。2分もしないうちに。
聞けば、渋滞でバス停まで行くのに時間がかかったとの事。バス停に行くのに時間がかかったのか、ふとんから出るのに時間がかかったのかあえて聞かないことにしました。(土曜日で渋滞?)
ほんとだってば。国道が混んでたの。土曜日でも混むよ。しかも右折しなきゃいけないのに右折レーンで。  

さて、カウンターでチェックインをしようとしてここでトラブル。そう、重量制限にひっかかたのです。(ぼくじゃないですよ)

だけど私は家でちゃんと25キロに押さえたんだもん。出たのは杉本さんのプロテックスだよ。
どだいダイビング機材をいれたプロテックスが20キロで収まる訳が無い。
ほ〜ら杉本さんじゃん。確かに収まる訳ないよね〜。
私はここで裏技を使いました。
荷物全体を載せるのではなく、一部を台のはしっこに載せるとかなり重量をごまかすことが出来るのです。
かおるちゃんの分と同時に計ると2キロオーバー、4000円分の超過になりました。
するとかおるちゃんは「私、荷物出します。」と言ってケースを開け、中の衣類を出し始めました。
仕方ないじゃない。4000円払うのはいやなんだもん。でもオーバーすれば空港で荷物を出せば良いと教えてくれたのはムネさんです。そのために袋も持っていたんだもん。
面食らったのは私よりも空港職員。「あ、あの袋をお使いください。」そう言って慌てて紙袋を差し出してくれました。
ありがたく使わせてもらいました。
「それでは”クアラルンプール”までお預かりします」そういってクレームチケットを彼女のチケットに付けてくれました。
なくさないようにね。そこまでは良かった。
しかし思えばこの一言が我々をあせりの恐怖に導いたのでした。

空路は順調で多少の揺れはあったものの無事経由地であるペナンに到着しました。ここで1時間待ち。かおるちゃんの発案でここで両替をしておくことにしました。

えらいでしょう。(^・^)
(実はたまたま両替所見つけただけなんだけど...。)
空港の周りはジャングルで、なんでこんな所に空港を作ったのか不思議でした。
確かにねぇ。なんでだろ?あんなところで乗ってくるお客さんって言えば、オランウータンくらい??
岐阜羽島駅のように政治がらみなのかなぁ、と勝手に想像する私でございました。
岐阜羽島駅ってそうなの?ひょっとして、すぎもっちゃんて、「週刊○○○」とかによく出てくる政界通なの?

いよいよクアラルンプールです。ここで今回最大のトラブルが発生したのです。
我々がもらった案内では飛行機が到着するのは大きなダイヤの形をした建物のゲートのはずでした。そこからモノレールに乗ってCPという中央ゲートへ行き乗り換えの手続きをするというものでした。

そうそうすっかり騙された。
しかし、到着したのは、いきなりCPだったのです。そんな事とは全く知らず、モノレールに乗って右往左往。ようやく違う場所に着いたことに気づき、乗り換えの手続きをしましたが、次の便の出発時刻は刻々と迫ってました。やっと税関にたどり着きましたが、ご存知のようにもらっていた出入国管理表が古いもので、書き直せとの事。こんな事なら機内でもらった紙に書いときゃ良かった。と、思っても後の祭り。
ほんと。でもちゃんと機内のTVには「使える」とあったのになぁ。
仕方ないので渋々書き直しにかかりました。しかし、どこをどう書けばいいかさっぱりわからず、かなりの時間を費やしました。出発まであまり時間が有りません。
さぁ、荷物を持って急ごうと引き取り場へ行くと、荷物が見当たらない。”そんなアホな”始めはゆっくりと探していた私達でしたが、段々早足になって見まわしました。でも見つからない。
あの時はもう泣きそうだったよ。でもあせるよねぇ、普通。
あぁもう時間が無い!あせる気持ちを押さえて係員をつかまえてたずねると、クレームチケットを見せろとの事。係員ニヤっと笑い「コタキナバルまでと書いてあるから大丈夫だよ」と一言。
???って、頭の中こんなカンジ。
なにー!関空ではクアラルンプールまでと確かに言ったぞ!
言った言った!!
畜生っだまされた!時間をみればあと15分。やばい急がねば。
走ったよねぇ。少しだけど・・・
出口をでてもエレベーターの場所がわからない。実はちゃんと目の前にあったのに・・・。慌てているから見えてるものも見えてない。困ったもんだ。
何とかぎりぎり間に合って、ホット一息。

飛行機は深夜便にもかかわらず、出された食事は牛肉かチキン。夜中にそんなおもたいもの食えるか!

重かった。すぎもっちゃんの荷物くらい...。でも着いても何にも無いと思って食べました。
と、思いつつもかおるちゃんの残した分までたいらげた私でした。
ホントよく食べるよねぇ。感心通り越して驚き!

コタキナバルにようやく着いて、祈る気持ちで荷物が出てくるのを待ってました。なにしろここはマレーシア、ほんとにちゃんとスルーで荷物が運ばれているか心配でした。

これでもし、荷物がなかったら一体・・・
心配そうな面持ちで待っている二人の肩を背後からたたく手。振り返ると笑顔の現地人(本当にそう思った)ではなくムネさんが立っていました。
「迎えに来たよ」の一言に安堵の気持ちで全身の力が抜けて行きました。
ムネさんの顔を見たらほんと安心したよ。ありがとう。あんな時間に眠かっただろうに・・・
ホテルではムネさんと同室。全国のムネさんファンに申し訳ないなと思いつつ眠りに落ちたのでした。
ほんと申し訳なさすぎ!カリスマムネなのに・・・、夜道には気をつけたほうがいいよ、すぎもっちゃん。(笑)

いやー長々とご精読有難うございました。これが今回私達がたどった珍道中です。

長かったでしょう。ごめんなさい。